EUとユーロ経済問題を、日本の地方問題に置き換えて考えてみる。EUを日本に例えると、東京(関東)はドイツ、フランスは関西、ギリシャは沖縄、イタリアは中京、スペインは北海道か。明治維新雄藩の薩長土肥は今や最貧県となり、原発や米軍基地などの迷惑施設を押しつけられている。

 2012年6月のギリシャ総選挙でユーロ離脱は一応回避できた。これまでEUではすでにいくつかの国が経済破綻したが、ユーロとして救済されてきた。今後ギリシャがユーロ離脱するかどうかは分からないが、ギリシャの次にはスペインやイタリアまで経済破綻が囁かれている。
 
日本では世界不況や銀行債務の問題として、あるいは日本国家財政破綻の警告としてこのギリシャ危機がとらえられているが、果たしてそれだけなのだろうか。

 私は、このギリシャ問題は日本の地方問題と似ていると思ってしまう。日本全国を東京、関西、それから地方として北海道、東北、中部、中国、四国、九州、沖縄などに分け、EUを日本に置き換えれば、さしずめドイツが東京、フランスが関西だ。イタリアは中京で、離脱に揺れるギリシャは沖縄と言ったところか。ドイツは東西統一以後、東ドイツの安い労働力を活用して工業発展に邁進させることができた。日本では徳川幕府が江戸にインフラを集中させたのは400年も前からだ。

 ユーロ問題の本質がドイツ集中にあるのと同様、日本問題の本質は東京一極集中にある。ドイツと東京、それは両者とも経済活動に優れ人口や税収の多くが集まる繁栄した場所。両者が経済繁栄させて成長したのは自己努力もあったろうが、インフラ集中により企業や人口を貧しい国や自治体から引きつけたことが大きい。今から同じ土俵で競争しても、EUの他国や日本の地方がドイツや東京に勝てるわけは無い。

 このEUギリシャのユーロ離脱問題は、東京対地方という構図を抱える日本の未来図でもある。東京の霞ヶ関が全国を支配するという構図はもう賞味期限切れで、まずは日本では地方分権を強めることだろう。
 橋下市長の人気が出るほどに地方分権が現実度を増し、また5年以内に来るであろう日本の財政破綻が大規模な社会混乱を生み出し、抜本的制度改革が否応なしに行われる。だからこそ、そうなってから考えるのではなくて事前に分権の実態について考える必要がある。


 日本では地方分権論が盛んだ。各地域が独立採算を目指して自由度を競うのは良いが、インフラがすでに整った東京・関東地域が断然有利となり、他の貧しい地域ほど東京や霞ヶ関に集まるお金をこちらにも配分してくれとなるのが見えている。現状も種々の名目で地方にお金が配分されているが、地方が経済独立して財政を分離しても同じ通貨(円)を使う限り、強者と弱者のさらなる地域格差問題が発生する。

 どこかで見たことのあるこの構図だが、そう、今のドイツとEU弱小国の関係とうり二つだ。
前述したように、ドイツが東京で、PIIGUSなどEU弱小国は北海道や沖縄。 名古屋や福岡を抱える中京や九州はまだマシだけど、東京との差は絶望的に大きい。ましてや大きな都市インフラがない四国や中国や東北、北海道などは悲惨な経済状況だ。
 東京は北海道は自助努力しろと言う。「なぜ、沖縄は身の丈にあったお金の使い方をしなかったのか」と責める。「北海道はもっとマジメに仕事したほうが良いんじゃないの? なぜ東京のお金を四国に渡さないといけないの?」 「稼ぎは自分で管理すべきで、誰かに施されて維持するものではないよ」 「九州や沖縄は自分で産業も興せないのなら、原発建設したり米軍基地で稼げば良い」と。


 EUは基本的に独立採算なのでドイツもギリシャにお金を渡すのを嫌がるが、経済危機はギリシャだけでは済みそうもなく、スペインやポルトガル、イタリアと同じ経済危機を抱える国々が後に控えているからやっかいだ。
 フランスはまだ良いがドイツとの差は歴然としており、危険な原子力発電施設を国内に数多く建設し稼働して、EU各国への電力供給を受け持つことで、何とかEUのリーダー格を維持している。フランスは日本の関西(大阪)そっくりだ


 ヨーロッパは21世紀前にEUという形で統一した連合国家だが、政治形態は米国の自治州などよりも格段の独立性を保っている。
 日本のほうは明治時代までは江戸幕府が支配していたが、各地の藩に独立採算と自治を任せており、統一された日本国は明治政府が19世紀終わりに樹立したものである。そういう意味では日本は元々連合国家だったのだが、明治以降は各地方の独立採算を認めず、日本国元首たる天皇も京都から東京に移して、東京で国家としての日本を一元管理をすることになった。
 それから150年、第2次世界大戦後も官僚機構は生残り、このことは戦後の経済発展にも貢献して日本は世界2位の経済大国になったため、東京・霞ヶ関と東京に本社を移した経団連などの東京利権村が日本国を支配するようになった。


 優秀な官僚と効率的な一元管理により、日本では、東京に国内の地方人材を引っこ抜いて集中させ、江戸時代から引き続いてインフラを最優先整備した。1960年代には東京・関東地域に企業が集まり、就職口を求め
て団塊世代以後の地方の若者は関東地域に集中移住した。この東京1極集中は経済的には大成功したかに見えた。が、21世紀にはいると弊害も見えてきた。

 
過疎化しインフラ整備も後回しにされた地方は、20世紀終り頃から疲弊してきた。明治維新を断行し江戸幕府を倒した立役者は、薩摩(鹿児島)、長州(山口)、土佐(高知)、肥前(佐賀)であり、これらは江戸末期には経済力の盛んな地方雄藩たちであった。しかし、20世紀後半のこれら四県の経済状況をあらためて拝見すると、GDPや県民所得など総じて日本国内での最底辺層に低迷する悲惨な状況にある。皮肉な結果として、薩摩・長州・土佐・肥前の維新の志士たちは、自分たちの故郷を東京に売ってしまったことになる。

 それでも20世紀までは、東京・関東1極集中で経済集積させた利益を国の霞ヶ関官僚が地方にばらまくことで地方の不満を抑え込んできた。さらに経済的にどうにもならない過疎地方には、札束にものを言わせて廃棄物受入処分場を建設させたり、原子力発電所や放射能廃棄物処理場を何基も建設させたり、沖縄や山口岩国などには米軍基地を駐留させて金を稼がせてきた。

 しかし、少子化と団塊世代の引退による日本での人口オーナス(労働力人口減少)は、21世紀にはいると顕在化し、そのせいもあってか世界不況からも日本はなかなか回復せず、中国などアジア諸国の追い上げもあって日本経済全体のたそがれが明白となってきた。
 東京・霞ヶ関も地方にお金を回す余裕はなくなり、地方コントロール手段を無くしてしまった。地方も、霞ヶ関に頼っていてもお金も来ないし、国から規制ばかりされて自滅するだけと自覚してきた。そこで、関西の都構想が共感を持って迎えられたり、沖縄が政府の意向に逆らって米軍基地受入拒否を声明したり、日本各地で種々の特区を作ったりする動きが始まっている。
 これがさらに進むと、沖縄などは経済状態が悪いのは米軍基地を受け入れたにも関わらず十分な経済援助をしない日本政府=東京から独立して、米国と直接基地問題を交渉したり、沖縄通貨を発行して直接中国と商取引をしたいと思うようになる。 しかし沖縄通貨の信用は低く、実行すれば沖縄の経済は暴落する。 沖縄は、東京に好きなようにされるのもいやだと思っており、日本政府からの十分な援助がなければいずれは独立自治州を志向するようになるであろう。
 


 余談だが、どうせ迷惑施設を受け入れるしかないのであれば、受入れ自治体は、「原発立地から30キロ圏は電気代をタダにして企業誘致する。他電力地域への原発電気供給は2倍の価格でしか売らない」、とか、「米軍への政府からの資金提供は沖縄県を通してから支払え。」「米軍基地地代は地元買物券(一種の沖縄通貨)で支払い、沖縄で使ってもらう。」、程度の要求をなぜできないのか、と私は思ってしまうのだが。

 EUドイツのマルクとギリシャのドラクマの関係を、日本の東京(円)と沖縄通貨になぞらえてみた。その本質は、経済の強さが極端に異なる地域が同じ通貨を用いるとき、経済格差はより顕著になることだ。その顕著になった経済格差を埋めるため、強者が弱者へ支援する確固たる均一化政策が無い場合には、同一通貨同盟のなかの弱者は経済がなりたたず、最終的には同盟から離脱してゼロから経済再出発するしかない。このことがEUのPIIGUS問題では明らかになってきた。

 ちなみに、EU設立時の指導者たちの考えは、「ヨーロッパ経済は一つの規範に収斂していく」と希望的観測をしていた。そうなる未来に賭けていたというほうが実情に近い。「財政赤字を計上し債務を積み重ねがちな南ヨーロッパ諸国は、ドイツ経済基準を採用して物価と賃金の上昇を抑え、貯蓄をして支出を控えるようになる。一方のドイツは、政府と民間の支出を増やし賃金と物価水準を引き上げていく。」このように指導者達は願っていた。
 しかし結局のところ、それぞれの国民は変わらなかった。ドイツ人はドイツ人のままだったし、南ヨーロッパの人達は南ヨーロピアンのままであった。通貨同盟後ドイツは益々栄え、南ヨーロピアンはPIIGUS諸国となった。

 これは単にギリシャがEU離脱すれば良いという問題ではない。同じ経済問題は南ヨーロッパにいくつもあり、ギリシャが解決しても次が控えているからこそ深刻なのである。今のギリシャ問題はEUだけの問題ではなく、グローバル経済化結果として日本でも発生する。だからこそこの問題の真の解決法は何なのかを、ギリシャとドイツの例をを注視しながら考察する必要がある。
 なぜPIIGUS問題が発生したか。EU統合しユーロという通貨同盟したことで勘違いした南欧諸国が自国財政をかえりみずに散財し、そのツケが2008年のリーマンショックで破綻した。その際にバブルの資産インフレで資金を得ていたPIIGUS諸国が経済崩壊した、との単純な構図に帰着させたい世界世論が特に米国や日本のマスコミには多い。


 もちろん別の観点もある。ドイツはPIIGUS諸国への経済援助を強いられるのなら、EUの政治統合まで進めなければ責任を持てないと考えている。そのときはもちろんドイツがEUの盟主だ。イギリスは、EUに拘束されずに距離を置き、米国との同盟を優先したいとの思惑がある。フランスは、経済はともかく政治なら自分がEUの盟主であるべきだと考えている。
 ドイツとしてはヨーロッパの経済および政治統合は将来のあるべき姿と考えているが、自分が経済援助と政治同盟のリーダーを演じなくてはならない責任の重大さに躊躇しており、「ギリシャが離脱してEU経済同盟がバラバラになっても、そのほうが楽だ。」とも思っているところだろう。
 しかし再び日本の例を出すと、東京が地方を切ってしまって日本国として成り立つかどうか、ちょっとでも考えてみれば分かる。もうドイツはEU経済統一に舵を切ってしまったのだ。どれだけドイツが苦しかろうと、統合の過程で経済的重荷を背負ってしまったイタリアやギリシアなどに対して経済的援助を続けるしかないのだ

 主役、リーダーの座は晴れがましいが、よほどの実力を備えていなければ辛いことでもある。米国がもう世界のリーダーから降りたいと言っても、世界のどの国も後を引き受けてくれない。 EUドイツも、日本の東京も、一国のあるべきリーダーとしての心構えと重責を常に噛みしめていてほしいものだ。
2012年6月25日
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