2012年9月、尖閣諸島の領有権をめぐって日中間に政治的緊張が勃発し、更には日中間の経済戦争に突入した。現在の中国経済の状況はどうなっているのか? 沖縄・尖閣諸島返還の取り扱いに関する生々しいキッシンジャー、ニクソン大統領メモが米国立公文書館で見つかる。CIA調査報告書も。

 これまで30年近く中国経済は経済成長率10%以上の飛ぶ鳥を落とす勢いで来たが、2012年には変化があった。一つは中国のもっとも上得意であるEUの経済危機による貿易輸出の減少である。 さらにあと一つは、中国の労働人口(生産年齢人口比率)がピークを迎えたことであり、2015年に中国は労働人口が減少し始め、それから5-10年遅れて人口オーナス期に突入する (人口オーナスの定義は、一国の15-64歳の労働生産人口が非労働年齢人口の2倍を下回り、経済成長が抑制される時期のこと)。 そのため中国の景気は、ゆっくりと長期の下降局面入りしている。
 2012年の4-6月期の実質GDP経済成長率は、8%には達せず前年比7・6%にとどまった。 しかも、中国統計のGDP経済成長率は他国と比較して0・5%くらい高めに出ると言われているので、実態は7・1%だった可能性がある。
 中国は構造的に政府等の投資に依存している経済体制であり、2010年ではGDPの47%を投資が占めた。今後は内需消費のウエイトを高めない限り安定的経済成長は不可能であるが、問題はその内需依存のきっかけをいつどのようにして掴むかである。

 この4-6月期の経済成長率が8%を割り込むと、中国指導部は急に浮き足立ってしまった。 中国をじっくり内需型に安定成長させるとしていた胡錦濤、温家宝氏の路線は早くもふらついている。 というのも、次期国家主席の習氏は経済安定よりも軍事拡大路線に興味があると言われており、10月の共産党大会を控えて、経済派と軍事派との権力闘争が行われているからである。

 そのような折、2012年8月に日本との間に尖閣諸島国有化をめぐる軋轢が生じ、反日デモは政府の統制から逸脱して暴徒化した。中国首脳部は、尖閣諸島海域での軍事衝突は日米安保条約の存在により困難と判断して、日本製品不買などの経済制裁を国民に対して主張している。 しかし、日本と中国との貿易額は大きく、しかも日本製品は中国での組み立て輸出製品の基幹素材であることも多く、日本製品不買は中国貿易輸出額の減少に直結する。もろ刃の剣だ。
 そのため、中国の経済成長率が2012年度の政府目標である前年比7・5%を下回る懸念が指摘され始めた。 これは、欧州EU債務危機のあおりで輸出や国内消費、海外からの対中投資が低迷しているところに、日本製品不買運動を引き起こしたからだ。 日本への経済制裁もチラつかせた対日経済関係の悪化が引き金となり、中国景気も冷え込ませると、アナリストの間では懸念されている。最高指導部交代を決める共産党大会を10月に控えて、中国経済は難局に直面している。

 最近の中国の経済指標は黄信号の続出だ。中国では2012年8月の輸入は実質で3年ぶりのマイナスに転落した。輸出製品向け原材料や部品の調達需要が減ったためで、年末にかけても輸出低迷が予想される。 すでに最大の貿易相手先である欧州EU向け輸出は、1-8月に前年同期比で4・9%も減少した。
 このなかで、対日輸出は前年同期比4・8%増であったが、「9月以降は日系企業の中国工場などからの日本への輸出はマイナスに転じる」 と日本の貿易関係者は指摘している。 日本からの輸入については、すでに前年同期比で6・0%の減少と落ち込んでいる。 さらに、中国国内の新車販売台数も8月まで3カ月連続の1ケタ増に留まっており、肝心の国内需要も停滞している状況だ。

 ここにきて注目されているのが、海外から中国への直接投資(FDI)だ。中国での賃金高騰など投資環境の悪化で、8月まで3カ月連続のマイナスの結果となっている。 欧米資本が中国を敬遠し始めた中で、なぜか日本だけが1~8月の対中国投資を16・2%も増やした。 しかし、日本企業の投資案件も尖閣騒動で9月以降は急ブレーキがかかり、輸出や消費低迷と合わせて中国は投資導入という経済成長エンジンをも失うことになる。

 そもそも中国は、世界景気の後退を見越し4-6月の成長率を予測し、2012年度の中国経済成長の数値目標を7・5%以上と置いていた。4-9月は前年同期比7・6%で目標を達成できたと推測されるが、アナリストたちは「対日経済悪化により10-12月は7%台前半に留まる」とみている。 その結果、2012年通年での中国経済成長目標値である7・5%達成は難しいのではないかとの見方が強まってきた。 ちなみに、2011年の中国経済成長率は9・3%もあり、今年度に入って急低下である。

 中国は成長率1%で約100万人の雇用に影響があるとされ、昨年に比べて2ポイント近い成長ダウンとなれば、失業者が200万人増大する計算になる。13億人中の200万人の失業は大したことではないかも知れないが、大学新卒者の失業率増大は中国では社会不安に結びつく。中国における大学進学率はもう3割を超えているが、今でも大卒者の就職率は5割程度だ。
 そのこともあり、中国政府は9月になってから急きょ1兆元(12兆円)もの公共インフラ投資を発表したが、しかしこの公共投資が中国経済の将来負担につながらないかとの不安も強い。

 これまで中国は全体の経済格差よりも、まずは一部の人たちでも優先して豊かになることを急いできたが、今年に入って、いよいよ温家宝首相が貧富の格差是正に取り掛かり始めたところで経済失速したのでは格差是正に振り向ける財源の余裕がない。しかしながら、格差是正なくては、中国貧困層の不満は、共産党本部や党官僚と結託した富裕層さらには中間所得層にまで向かう可能性は捨てきれない。実際、反日デモは政府の統制から逸脱して暴徒化し、公安当局によってやっと押さえ込むことができた。危機一髪であった。 さらに先日の官製反日デモにおいても多数の毛沢東肖像プラカードが掲げられており、貧富格差の平等化を志向して第二の文化大革命さえ期待している貧困民集団がいることも明らかになった。

 10月共産党大会以後、習新政権になってからの最大の政策課題はまずは中国の経済を立て直して、それを財源に経済格差を是正することであろう。 共産党政府が尖閣反日で国民の意識統一を図っても、それは長くは続かない。 中国国民の経済格差是正という根本を何としてでも実行しなければ、中国の今後の政治および経済成長は保てないと予測するが、これは国家資本主義をとる中国国内政治の課題に過ぎない。

 そもそも、外国に集中経済投資をすればいずれはその国に警戒され疎まれることは、歴史の必然である。日本は戦後賠償代わりに頼まれたからと言え、これまで中国・韓国に経済建設投資を集中しすぎた。さらに2012年には世界のうちで日本だけが中国への投資を16%も増加させているが、日本の財界は今回の日中・日韓の歴史摩擦を教訓にして、今後は中国韓国への工場建設投資は控えてしかるべきだと思う。

 日本政府ももう中國、韓国との貿易進展援助は一切止めて、ベトナム、ミャンマー、フィリピン、インドなどこれまで経済投資が進んでいない諸国への銀行融資も含めた電力等インフラ援助からスタートするべきだろう。 その後にJETROが、民間企業の現地工場進出を円滑化するよう努力すればよい。中国・韓国へは、日本の金融・小売業界などがリスクをとって勝手に業務展開するはずがから、彼らに任せておけばよい。


★★2012920中国経済危機について/ 大和総研経済調査部 齋藤尚登・新田堯之
   http://www.dir.co.jp/souken/research/report/overseas/china/12092001china.pdf
★産経ニュース: 2012.9.21
  http://sankei.jp.msn.com/economy/news/120921/fnc12092120140013-n1.htm
  http://sankei.jp.msn.com/economy/news/120921/fnc12092120140013-n2.htm
★中国の景気減速、来年まで続く可能性ある-人民銀の宋委員[09/21]
  http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1348226651/
★中国株反落-景気や日中間の緊張を懸念[09/20]
  http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1348148115/
★中国への海外からの直接投資減少 前年同月比1.4%減少、3か月続けて前の年を下回る[09/19]
  http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1348071125/

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米国が沖縄返還協定で「尖閣諸島は日本に施政権」とニクソン大統領が返還直前に決談し、これが安保条約適用の論拠。

   2012.9.28産経新聞:佐々木類  http://sankei.jp.msn.com/world/news/120928/amr12092807220001-n1.htm

 1971年の沖縄返還協定調印直前、当時のニクソン米大統領が、尖閣諸島(沖縄県)の日本への施政権返還を決断した際の詳しいやりとりが2012年9月27日、米国立公文書館にある内部資料の調査で明らかになった。 このときのニクソン大統領の決定が、尖閣諸島防衛に日米安保条約を適用する米政府の政治判断の根拠になったといえる。 これは米側の立場を明確に裏付ける資料として注目される。

この内部資料によると、ニクソン大統領は沖縄返還協定調印10日前の1971年6月7日、米東部メリーランド州の大統領山荘キャンプ・デービッドで、キッシンジャー国家安全保障担当大統領補佐官、ピーターソン国際経済担当大統領補佐官と、尖閣諸島をめぐり意見交換を行った。 当時、尖閣諸島の日本返還に反対していた中華民国(台湾)は、沖縄返還協定条文に「尖閣諸島の施政権はどこにも属さない」という一文を入れるよう米側当局者に要求していた。 これを受けて、ロジャース国務長官やピーターソン大統領補佐官たちは、中華民国側の意向を反映させるようホワイトハウスに働きかけた。
 しかし、ニクソン大統領は7日のキャンプ・デービッドでの会合で、「尖閣諸島の施政権返還は日本とすでに合意しており、今さらそんなことはできない。」と強調し、尖閣諸島を含めた沖縄の施政権を日本に返還する考えを明確に指示した。 さらにピーターソン大統領補佐官が食い下がると、大統領は「シャダップ(黙れ)!」と声を荒らげた。
 これに先立つ7日朝、キッシンジャー大統領補佐官はジョンソン政治担当国務次官と電話協議して、「領有権が日本と中華民国のどちらにあるかに関係なく、日本から引き受けた尖閣諸島を含む沖縄の施政権を日本政府に返すだけだ。」 と語っている。

 日米両政府は1971年6月17日に沖縄返還協定に調印したが、ジョンソン政治担当国務次官のキッシンジャー大統領補佐官宛ての外交電文によると、ロジャース国務長官やピーターソン大統領補佐官、ケネディ繊維交渉担当特別大使らは、調印直前まで中華民国寄りの助言を大統領に対して繰り返した。 

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 「アメリカCIAも尖閣日本所属の報告書」
  また、これとは別に米中央情報局(CIA)が、沖縄県の尖閣諸島をめぐり、「領土問題は存在しない」とする日本の主張を裏付ける内容の報告書を作成していたことも、9月27日に明らかになった。 報告書は、日米両政府が沖縄返還協定を調印する直前の1971年5月に作成。当時の中華民国(台湾)が、米国の尖閣諸島を含む沖縄の施政権に注文をつけたのを受け、CIAが調査を行ったもので、米ジョージ・ワシントン大国家安全保障記録保管室に保管されていた。

報告書は、中国本土で文化大革命の担い手だった紅衛兵向けに1966年に刊行された地図を例に挙げ、「尖閣諸島は中国の国境外に位置しており、琉球(沖縄)列島、すなわち日本に属していることを示している」と指摘。 1967年8月に北京で刊行された一般向け地図帳でも「尖閣諸島は琉球列島に含まれる」と表記されていると報告している。 さらに台湾でも「尖閣海域が中国側の境界内にあると表示する地図はなかった」とした上で、旧ソ連や無作為に抽出した欧州の地図にもそうした表記はないとした。

報告書は、「尖閣海域に埋蔵資源の存在が明らかになった後、中華民国が領有権を主張し、これに中国共産党政権が続いて問題を複雑化させた」と指摘。歴史的にも国際法上も日本固有の領土であるとする日本の主張について「説得力があり、尖閣諸島の領有権の根拠を示す責任は中国側にある」とし、「尖閣諸島への中国のいかなる行動も、米国を日本防衛に向かわせるだろう」と結論付けた。

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これとは別に、都内の財団法人「沖縄協会」の調べによると、台湾当局は1971年に中学2年生向け地理教科書「中華民国国民中学地理教科書」で領土境界線を変更し、尖閣諸島の呼称を「釣魚台列島」に改めていたことが判明している。 その前の1970年の教科書では「琉球群島地形図」で同諸島を「尖閣諸島」と明示しており、台湾との間に領土境界線を示す破線を入れて、尖閣を日本領としていた。 しかし、1971年に呼称を「釣魚台列島」に変更し、破線を曲げて沖縄県与那国島北方で止め、領有権の所在を曖昧にした。


-----------600年前から日本領(読売新聞記事)------------------

中国の明王朝の公式日誌「皇明実録(こうみんじつろく)」の中に、明の地方長官が日本の使者との間で、明の支配する海域が尖閣諸島(沖縄県)より中国側にある台湾の馬祖(ばそ)列島までと明言し、その外側の海は自由に航行できるとした記述を、長崎純心大の石井望准教授が見つけ、2013年1月21日明らかにした。 中国は現在、尖閣諸島を約600年前の明の時代から支配してきたと主張しているが、石井氏は記者会見で、「歴史的に見ても尖閣を巡る論争は日本側の主張が正しいということが、この史料からわかる」と語った。

 石井氏が見つけたのは、江戸時代初期にあたる1617年8月の皇明実録の記述。沿岸を守る長官だった「海道副使(かいどうふくし)」(海防監察長官)が、長崎からの使者・明石道友(あかしどうゆう)を逮捕・尋問した際の記録で、皇帝への上奏文として納められていた。 それによると、この海道副使は明石に対し、沿岸から約40キロ・メートルの「東湧島(とうゆうとう)」(現在の馬祖列島東端・東引島(とういんとう))などの島々を明示したうえで、この外側の海を「華夷(かい)の共にする所なり」とし、中国でも他国でも自由に使える海域だと指摘したという。魚釣島(うおつりじま)などからなる尖閣諸島は、中国大陸から約330キロメートル離れている。
 中国は、明王朝の1530年代に琉球に派遣された使者の記録をもとに、琉球の支配海域の境界は尖閣諸島の東側にある久米島と同諸島の大正島の間にあり、魚釣島などは明の領土だったと主張している。しかし今回の記述により、明の支配海域は沿岸から約40キロメートルまでで、尖閣諸島はどこの国にも属さない「無主地」だったことが明らかになった、と石井氏は指摘している。
 日本政府は、尖閣諸島が「無主地」であることを調査・確認したうえで1895年に日本に編入したと主張している。


    -以上-

2012年9月21日
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