インド、タイ、ウクライナ、EUなどの混乱で今後の世界情勢はどうなる? 新興国経済への影響は
インドの政権交代
 2014年5月のインドの選挙管理委員会は、5週間にわたって繰り広げられたインド下院の総選挙で、野党のインド人民党(BJP)が圧倒的勝利を収めたと発表した。 すでにBJPは543議席のうち予想を大幅に上回る282議席を獲得し、ゆるぎない与党の地位を勝ちとった。 連立を組むほかの政党の議席を合わせると、BJPは337議席を支配することになる。  一方、1947年の独立以来、世界最大級の人口を抱えるインドの民主主義体制を牛耳ってきた国民会議派は、歴史的惨敗を喫し、獲得議席数はわずか44議席にとどまった。 マンモハン・シン首相は17日に退任した。
 インドの国内政治の文脈で見れば、最大の敗者となったのは国民会議派のラフル・ガンジー副総裁だ。 国民会議派が今回の選挙に勝利していれば、ガンジー氏がシン氏に替わって首相の座に就いていたはずだからだ。 しかしガンジー氏には、これまでずっとインドの権力を掌握してきたガンジー一族の気概が明らかに欠けていた。 ガンジー氏の選挙戦略は精彩を欠き、(3世代にわたって首相を輩出してきた上位カーストの一族も)4代も続けば望ましくないということが露呈した。 今後、歴史ある国民議会派のかじ取り役を、ガンジー氏が務めることは疑わしい。
■直接投資はインドに向かう
 とはいえ、より広い視点で見ると、最大の敗者となったのはガンジー氏ではなく、北京の中国政府である。 この先数年、海外からの直接投資は中国ではなく、インドに向かうことは間違いないからだ。 海外からの資金を必要とする中国経済は、最悪の時期に直接投資の流れの変化を迎えることになる。 中国の習近平政権はインドとの経済友好関係をアピールして、損失を最小化する外交をねらうだろう。
 一方のインドで、BJPはこのうえない好機に恵まれた。 ラジブ・ガンジー元首相の母親であり、ラフル氏の祖母だったインディラ・ガンジー首相が暗殺された後の1984年の総選挙では、国民会議派のラジブ氏が勝利したが、BJPにとって今回の選挙はその1984年以来の圧倒的勝利となった。 圧勝の結果、カリスマ性に富んだナレンドラ・モディ氏は正式にインドの第14代首相に就任する(注:就任式は26日に行われた)。 下位カースト出身のモディ氏は、インド経済の構造改革を公約に掲げ、西部グジャラート州の州首相時代にリベラルな政策によって達成した好況の成果を、インド全域に広げることを約束してきた。 「モディ氏は、グジャラート州にインドで最初の、真の自由主義経済を導入し、新たなインフラ整備と雇用の創出を達成した」デリー大学の元政治学教授、スブラタ・ムカジー氏はそう語っている。
 米紙ウォール・ストリート・ジャーナルのギータ・アナンドとゴードン・フェアクラウの両氏が伝えているとおり、インドの有権者は、国民議会派の補助金政策やばらまき政策に魅力を感じつつも、インドが巨大なグジャラート州になることを期待してモディ氏に投票した。 つまり、今回のBJPの画期的勝利は、インドの国民感情の変化の表れであり、かつて建国者たちが築いた社会主義経済との明確な決別を意味しているのだ。
 退任したシン氏は、財務相を務めた1990年代、経済改革の推進役として知られ、第1期の首相時代には、好況を達成してその手腕を高く評価された。 だが第2期の首相時代の政策では失望を買った。 足並みのそろわない連立内閣のもと、必要な改革は断行されず、経済成長率は低下し、国民のあいだに不満が広がった。 同時に、海外投資家たちもインドに対して及び腰になった。
 シン氏が任期後半に手がけた経済改革のうち、最も顕著な失敗は、大型小売店の進出規制に関するものだったといえるだろう。 米小売大手ウォルマート・ストアーズの苦戦が大きく話題にされたことで、多国籍企業はインド進出に慎重になった。 そのほかの外国企業の多くも、インド政府の対応に疑心暗鬼を募らせた。 とはいえ、これまでの失望はインドの将来に対する展望を悲観的にはしていない。 海外投資家たちは総選挙の結果を待つことなくインド買いに転じた。 モディ氏勝利に期待が高まったことも一因となって、代表株価指数SENSEXは、昨年の8月以降、29.5%上昇した。 海外投資家たちは過去半年間にインドの株式や債券を160億ドル以上も購入し、現在ではムンバイ証券取引所に上場している株式の22%以上を保有している。 また最近は、ルピーの対ドル相場も上昇している。
■21世紀は「インドの世紀」
 いま、インドの将来に期待しない人間などいるだろうか。 モディ氏が予想を大幅に上回る勝利を収めたことは、少なくとも今後、議会下院で彼が多数派を牛耳り、前任者のシン氏にとっては夢にすぎなかった大業を達成できることを意味している。 モディ新首相はインド経済を立て直す権限を手に入れ、まず確実に、立て直しに成功するはずだ。 すでにモディ氏には「スーパー・モディ」「インドのマーガレット・サッチャー」などの呼び名がついている。 インド国民のあいだでは、「モディ・ウエーブ」の話題でもちきりだ。 モディ氏自身もこの国民の熱狂をあおっている。 BJPがこれまで掲げてきたスローガン「輝けるインド」を口にするだけでなく、21世紀は「インドの世紀」になるとも公言している。
 本来、21世紀は中国の世紀になるはずだったが、最近ではこの掛け声はあまり聞かれなくなってしまった。 中国躍進の原動力となった経済はいまや息切れ気味で、歴史的な破綻をきたす寸前に来ている。 しかも、中国政府は多国籍企業に対して差別的な調査を強化している。
 一例を挙げれば、今月半ば、中国政府は、英製薬大手グラクソ・スミスクライン(GSK)の中国担当部門トップ、マーク・ライリー氏を贈賄容疑で起訴した。 その一方で、同罪の国内会社を目こぼしし、支障なく営業させている。 経済が低迷するいま、外国企業を悪者にする中国政府の手法は政治的には有効な政策といえるかもしれないが、経済的には、長期的に見てきわめて拙劣だ。 残念ながら現在の中国は、1970年代末に改革路線を打ち出した指導者、鄧小平の知恵を学んでいない。 かつて「インドの鄧小平」と呼ばれたシン氏は、失政により首相の職を辞した。 シン氏の最大の失敗は、インド経済を開放することができなかった点にある。 いまのところ外国企業にとっては、ビジネス環境としては中国のほうがインド亜大陸よりも魅力的だ。 しかし投資家にとって重要なのは今後の動向である。
■「モディノミクス」に期待する外国企業
 外国企業は、中国の今後の動向は自分たちにとって悪化する一方だが、インドは格段に向上すると見ている。 いまや「モディノミクス」とも呼ばれるモディ氏の経済政策は、大企業こそが雇用と富を創出し、よりよい社会を築けることを最大の信条にしている。 ウォルマートの見解を聞いてみればよい。 モディ氏はインドの小売市場──実はこれこそ、早急に近代化すべき産業分野なのだ──開放を外国企業へ認めていない現行の規制を維持することを公約に掲げてきた。 だがこの公約はモディ氏の政治的方便にすぎないというのが大方の見方だ。
 真偽はともかく、世界最大の総合小売業ウォルマートは、この公約を聞いてもなお、インドへの投資を増やし続けている。 モディ氏の勝利を予想して、ウォルマートはインドに新たに50店舗を開店し、ネット販売も開始する計画を先月発表した。 5000億ドル規模のインドの小売市場に今後もずっと進出できないという予想のもとに、ウォルマートがこうした方針を打ち出すわけがない。
 アナリストたちはモディ氏が中国の「古くからの友人」である点を指摘しているが、中国にとってモディ氏の登場は、長期的に見て最悪の事態となる公算が大きい。 中国経済が低迷するいま、モディ氏は自らが直接手を下すことなく、中国を窮地に追い込もうとしている。 じきにカネが音を立てて流れ始めるだろうが、その流れはもはや中国ではなく、インドへ向かうことになる。 (2014年5月18日 Forbes.com) By Gordon G. Chang, Contributor

エジプトの政権交代2011年の革命でムバラク政権が崩壊した後、混乱が続くエジプトで2014年6月8日、5月の大統領選で圧勝した前国防相アブデルファタハ・シーシー氏(59)が首都カイロの最高憲法裁判所で宣誓し、新大統領に就任した。 就任式でシーシー氏は「国民の利益を守ることをアラー(神)に誓う」と宣誓書を読み上げた。その後「テロと暴力を拒絶する」「国民が革命の恩恵を受ける時が来た」と演説、治安と経済の回復が重要課題だと強調した。シシ氏は国防相・軍司令官だった昨年7月、イスラム組織出身のモルシ大統領(当時)に対するクーデターを主導。革命後の混乱を収拾する「強い指導者」として期待され、大統領選では得票率約97%で左派系政治家に圧勝した。 シーシー氏は、自由や民主化より治安の安定を重視すると言明。就任式には、これまで暫定統治に当たってきたマンスール暫定大統領も出席した。ムバラク氏まで軍出身の大統領が4代続いたエジプトは再び軍出身者が率いる強権体制に回帰することになった。(共同)

イラクの争乱イラクでは2014年6月16日、過激国際テロ組織アルカイダ系が親フセインスンニ派勢力を取り込みながら、隣国シリアにつながる要衝を制圧したのに続き、首都から北におよそ50キロに位置する都市バクバにも攻撃を仕掛けて侵入を試みましたが、シーア派親イランの政府軍が激しい戦闘で押し返し、一進一退の攻防が続いています。 しかし、イラク軍は人数は多いものの士気が低い状況です
 親フセインのイスラム過激派組織が、イラク第2の都市モスルを制圧したのに続いて首都バグダッドに向けて南下しているのに対し、政府軍は過激派組織の拠点への空爆を強化するなどして進撃を食い止めようとしていますが困難な情勢です。 そのため、イラク政権のマルキ大統領は米国に対して米軍出動を要請しましたが、オバマ大統領は例によって拒否する構えで、300人程度の軍事顧問団の派遣でお茶を濁そうとしています。 しかし、米国がズルズルと戦争に巻き込まれてゆく可能性もありそうです。
 過激派組織は6月16日、隣国シリアとモスルを結ぶ幹線道路沿いの要衝の町タルアファルを政府軍との戦闘のすえ支配下に置いたほか、西部のシリア国境付近の複数の町にも攻撃の手を広げています。 さらに過激派組織は、バグダッドに向けて南下するため、バグダッドの北およそ50キロにある都市バクバにも攻撃を仕掛けて侵入を試みましたが、政府軍が激しい戦闘で押し返しているということです。 政府軍は、過激派組織の首都への進攻を食い止めるとともに、タルアファルなどの奪還に向けて部隊を集結させ、大規模な軍事作戦を展開していて、各地で一進一退の攻防が続いています。
 また北東部では強力な民兵組織を持ち石油利権で潤うクルド族(イスラムではあるがスンニでもシーアでも無い)が、イラクから実質独立したクルド自治区を死守しており、さらには自治区外のキルクークなどの石油都市も掌握し、石油採掘・パイプライン利権を日量40万バレルに拡大しました。 この豊富な石油パイプラインを通じて、クルドはトルコ、イランなど周辺国に石油を輸出し始めており、その資金で精悍な民兵組織を養っています。 彼らにとってはクルド自治区の権限をさらに拡大して自前の国家を創立することが長年の夢であり、今回のイラクの混乱はその千載一遇のチャンスと考えているはずです。 マリキ首相もクルドの軍事協力が必要であり、彼らの要求をむげに断ることは難しいでしょう。
 イラクは、かってのオスマントルコのような大イスラム圏を目指す親スンニ派アルカイダと、親イランのシーア派現政権、それから独立国家設立を目指すクルド族自治区の間で合従連衡と武力衝突が頻発している状態です。 シーア派はイランとイラクでは多数派ですが、イスラム圏全体ではサウジアラビアなどスンニ派の国が主流なのです。 今後、イラクは現状が固定化して、3つの国に分裂する可能性は大きいと予測されます


21世紀に入って世界中で後退する民主主義国家。腹が減っては戦はできぬが民主主義の限界
 民主化が繁栄につながる時代は終わったのか。 新興の民主主義国家が次々機能不全に陥るなか、独裁体制の中国独り勝ちの皮肉/ウィリアム・ドブソン(スレート誌政治・外交担当エディター)2014年6月17日
 1989年6月4日未明、天安門広場に戦車が入ってきたとき、1カ月以上にわたって続いた民主化運動もこれで終わりだと、誰もが思った。 多くの学生や民衆が広場を後にする一方で、そこを動こうとしないで射殺されてしまった人も数百人(あるいは数千人とも)いた。 そこまでは歴史上の事実であるが、予想外だったのは、あれから25年たっても中国の民主化が夢のまた夢であることだ。 いや、もう夢でさえないかもしれない。 当時は多くの専門家が、天安門事件とソ連崩壊によって中華人民共和国は存亡の危機にさらされるだろうと考えた。 1989年11月にはベルリンの壁が崩壊して東ヨーロッパの民主化が一気に進み、2年後にはソ連が正式に解体。 世界中が民主化に向かって進んでいるように見えた。 実際、一時的だが民主化のドミノ現象は起きた。 しかし天安門事件から25年後の今、中国だけでなく世界中で民主主義は逆風にさらされている。
 エジプトでは2011年、独裁的地位を30年近く維持してきたホスニ・ムバラク大統領が失脚。 中東のど真ん中に民主主義国が誕生すると期待が高まったが、その期待は見事に打ち砕かれた。 ムバラク後に実権を握ったのは軍であり、選挙で選ばれたムハンマド・モルシ大統領も就任1年で解任された。 その一方で、軍のトップとして中心的な役割を果たしたアブデル・ファタハ・アル・シシ国防相は、先月末の大統領選に圧勝した。 ムバラクよりも独裁的な体制を築く恐れがある。 エジプトだけではない。 チュニジアを除き、2011年の「アラブの春」に始まった中東の民主化運動はすべて混乱に陥ったか、息絶えたように見える。
 ブッシュ大統領によってフセイン政権が倒されたイラクでは、2014年6月にはアルカイダと組んだスンニ過激派がシーア派のマリキ政権を攻撃し、石油施設も破壊している。 イラクはクルド族自治区を加えて国内が3分裂状態に陥ったが、オバマ政権にはなすすべがない。
 さらに民主主義の混乱を最も劇的に示しているのはウクライナだろう。 親ロシア派のビクトル・ヤヌコビッチ大統領が昨2013年11月、EU加盟に向けた手続きをほごにすると、親EU派の市民が反発。 首都キエフの独立広場を中心に大規模な抗議デモを始めた。 この騒ぎでヤヌコビッチは解任されたが、隣国ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は黙っていなかった。 ウクライナは歴史的にロシアの重要な緩衝国だ。 そのウクライナがヨーロッパの民主主義国の仲間入りをするのを許すわけにはいかない。 プーチンはオバマが動かないことを見切った上で、ウクライナ南部のクリミア半島にロシア軍を送り込んでクリミアの分離・ロシア編入を推進。 さらにロシア系住民の多い東部の混乱を煽るなど、あの手この手でウクライナをロシアの影響下に置こうと揺さぶりを掛けてきた。
「勢いを増すポピュリズム」
 民主主義の後退は統計にも表れている。 人権擁護団体フリーダム・ハウスによると、世界の民主主義国はここ8年間減少の一途をたどっている。 これほど長期にわたり政治的な自由が縮小するのは、過去40年以上で初めてのことだ。 政治的な自由が確保されている民主主義国の数は、冷戦終結後で最低となっている。 今や世界地図は独裁国家や半独裁国家、それに民主主義国に見せ掛けた強権的な抑圧国家だらけだ。 最近の世界各地でのクーデターや政情不安は、こうした強権発動のトレンドが衰える気配がないことを表している。
 アメリカも民主主義の危機と無縁ではない。 共和党と民主党の極端な対立は議会を機能不全に陥らせ、唯一の超大国であり経済大国であるアメリカを過去3年間に2度もデフォルト(債務不履行)寸前に追いやった。 この状況下で、米国は国際政治にも存在感を示すことができず、国民はそんな議会と大統領に失望している。 CBSニュースの最近の世論調査によると、アメリカの登録済み有権者の43%が、民主党と共和党のどちらが議会多数派でも違いはないと考えている。 また、連邦政府全般を信頼していると答えた人は17%しかいなかった(60年代は70%だった)。
 ヨーロッパの状況もさほど変わらない。 政治不信が広がるに従い、選挙に出掛ける人が減っている。 2014年5月の欧州議会選挙の投票率は43・1%だった。 最近のヨーロッパ7ヶ国の調査では、回答者の半分以上が「政府をまったく信頼」していないと回答した。 イギリスでは有権者の60%以上が、政治家は「いつも」嘘をついていると考えている。 人々は経済の先行きや失業の不安に怯えているが、政治家はそうした庶民の不安に無関心にみえる。 だとすれば、ヨーロッパで危険なポピュリズム(大衆迎合主義)が勢いを増しているのも驚きではない。 欧州議会選挙では、EU懐疑派(諸問題の原因を移民やイスラム教徒や欧州統合のせいにする傾向がある)がフランス、イギリス、デンマーク、ギリシャで勝利し、スウェーデンやドイツやハンガリーでも躍進した。 フランスの極右政党である国民戦線のマリーヌ・ルペン党首は、同党が全国的な選挙で初めて首位となったのを受け、フランスの次期大統領選に出馬する意欲を示している。
 近年の状況を見る限り、ヨーロッパやアジア、北米アメリカなど世界中で民主主義がうまく機能していないようだ。 アラブの春が起きた2011年、人々は独裁体制に対して立ち上がった。 だがそれ以降の混乱は、民主主義がもっと多くを与えてくれないことへの失望が原因になっている。 今年だけでもボスニア、バングラデシュ、ベネズエラ、アイスランド、カンボジア、トルコなど多くの国で暴動や抗議行動、大規模デモが起きた。 デモの件数だけでなく、それに参加する人の数も増えている。
 専門家らによると、2006〜2013年に100万人以上が参加したデモは37件あったとみられる。 インドで行われたデモの一部は、史上最大規模だった可能性がある。 世界では現在、歴史上例のない規模で社会不安が起きていて、それが収束していく気配もない。 中国でもデモなどの抗議活動が急増している。 しかしそれは主に地上げや環境問題が原因で、民主化などの政治的要求を掲げるものはゼロに近い。 自国の経済成長に満足しているのだ。 それでも中国共産党がこの25年間、民主化運動に対して政治的な締め付け、弾圧の手を緩めたことは一度としてない。 それどころか彼らは今や、世界一莫大な資金力と権力を持つ政党になった。 ソ連と共に歴史のゴミ箱行きになるどころか、中国の共産主義体制と「権威主義的資本主義」という独特の経済システムは、欧米型民主主義に代わり得る最も強力な体制と考えられている。
「プーチンも中国が頼り」
 ウクライナ問題でロシアが欧米の制裁を受けたとき、プーチンが頼りにしたのも中国だった。 先月中国を公式訪問したプーチンは、ロシアから中国に天然ガスを輸出する大型契約をまとめることに成功した。 ロシアは向こう30年間、総額40兆円相当を確保できることになった。
 また、6月に英国を訪問した李克強首相は、キャメロン首相に対して中国国内やチベット等の人権問題への不介入、さらにエリザベス女王との面会を条件にして、英国に対する3兆円の商談支援をまとめてみせた。 これに対して、経済的に中国の支援を期待する英国は、中国ペースの交渉に応じるしかなかった。

 1989年6月、中国政府は民主化を求める人民を虐殺するという許されない罪を犯した。 あれから25年がたった今、デモ等を行う自国民を虐殺している国は世界中にどれだけでもあるのが実態だ。 しかし、最大の皮肉は、世界の民主主義体制がふらつくなか、強大な貿易黒字を手にした経済強国中国の独裁体制は、当時の責任を問われることもなくピンピンしていることだ。 日本同様、経済が弱まれば、世界中からの非難が一気に吹き出すことだろうが・・・

-以上-
2014年6月20日
九州ホーム